アミはアミなの!

犬と暮らすWEB漫画

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鳥!?

 朝、妊婦まっしぐらのあやめと小食のあみりに軽く食事をさせようとケージに入れる。
朝食はすなぎも。

鶏の筋胃、通称砂肝。ササミと並んで低脂肪で嗜好性も高いのだが、あみりが食べてくれるようになったのはつい最近だ。
胸肉やササミは一切食べてくれないので、砂肝を食べるようになったのはありがたいが、これがまたスーパーでなかなか手に入らない。

近所の肉屋さんに聞いてみると、昔は少量でも売ってくれた卸市場で、今は2キロ単位でしか売らなくなったので、どこの店でも仕入れにくくなっているとのこと。
「2キロ買ってくれるなら仕入れてくるんだけどねぇ。」
2キロ!?
それってどれくらいだろう。

砂肝が冷凍庫にパンパンに詰まっているところを想像した。
でもスーパーを探し回るよりいいか。

と仕入れてもらった2キロの砂肝。
数えたら60個、思ったほど冷凍庫はパンパンにならなかった、良かった。

さて、その砂肝を二人にあげて別々のケージに入れて、朝いろいろ仕事をしている間に忘れていると、か弱い声で「ぴー」と鳴く声が聞こえる。
しばらくしてまた「ぴー・・・」。

ん、鳥のヒナ!?

あみりだ。

犬の声とは思えない。

(以下犬語訳)
「あの、すみませんが、よもやお忘れじゃないでしょうね。
いえ、あの、要求吠えなんてぶしつけなことをするつもりじゃ全くないんです。
誤解しないでください。
ただ、食べ終わったことをお知らせしたいだけで。
あの、もう出していただいてもいいころかな、と、ちよっと思ったものですから。
ほんとにご都合のいい時で構わないので、よろしくお願いします。」

あみりの「ぴー」は明らかにこんな風に訳せる「ぴー」だ。
犬語の自動翻訳機にかけても絶対そう言うに違いない。

「ごめんごめん、食べたの。今出ちてあげるね。」と思わず赤ちゃん言葉になりそうだ。
私の中の絶賛「ぴー」。

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赤ちゃん抱っこ



 犬を抱くときのスタイルは飼い主ごとにそれぞれ違う。
人間が、と言うより「犬の抱かれ方」と言うほうが正しいか。
違う抱き方をたまにはしたいと思っても、居心地が悪いらしくもぞもぞと動いて、結局はいつもの抱かれ方に落ち着くのだ。
 子犬の時から抱かれたスタイルが「安心感」として刷り込まれるのだろう。

 私の抱きたいスタイルは赤ちゃん抱っこ。
人間の赤ちゃんを抱くように仰向けにすっぽり腕に抱きたい。
こうすると、我が愛犬の顔が見られるし、何より「見つめ合える」のは飼い主の至福の時だ。

 アミは幼い時に、私がおなかを下にして普通に腕に抱いていたせいか、赤ちゃん抱っこは落ち着かなくて嫌がり、「抱っこして見つめ合う」ことはほとんど出来なかった。

 アミの闘病の最後、逝ってしまう数日前になって初めて赤ちゃん抱っこをさせてもらった。
もう起き上がる体力もなくなり、されるがままに身を預けたからだ。
母もアミを抱いて「こんな風に抱かせてもらったことは初めてね。」としんみりと言った。
赤ちゃん抱っこどころか、普通の抱き方でさえ、アミは私以外には抱かれなかったからだ。

そのアミが、母の腕の中で、ぱっちりと目を開けて私を見つめていた。
長い間目を離さす、じっと見つめていた。

私は漫画の中でアミのセリフを描いて来た。
フィクションと言うより、本当にアミがそう言っていると感じて描いていた。
しかし、アミが病気になってからは、アミの言葉は聞こえなくなってしまっていた。
アミはしゃべらなくなったのだ。
ただただ、アミは私を見つめ続けるだけになってしまった。
母に抱かれたアミは、ただ黙って私を見つめていた。
ずっと、私の顔を心に刻みつけて覚えていようとするかのように。

あやめがうちに来て、私は赤ちゃん抱っこで育てた。
今やあやめは大人になったが、めでたく赤ちゃん抱っこのまま寝付く。
そのあやめの顔を覗き込みながら、ふと私を見上げていたアミを思い出すのだ。

アミの闘病を思い出すと、今でも泣きそうになるけれど、それにもまして幸せな思い出の方が燦然と輝いている。
それは、アミとの日々を大切に送ったから。
そして、あやめがいてくれるおかげだ。
感謝。

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